Cupid at The Masked Ball

ドイツの画家、フランツ・フォン・シュトゥック(Franz von Stuck/1862-1928)による1887年の作品「Cupid at The Masked Ball」
英語に疎い私は「Masked Ballってなんだ? 玉を隠す? たしかに隠れてるけど・・・」と思ってしまいましたが、なんのことはない「仮面舞踏会」のことだったんですね。
つまり「仮面舞踏会のキューピッド」というタイトル。
いくら仮面を付けても背中の翼と持っている矢でキューピッドだということがバレバレですが、この子どうして仮面舞踏会なんかに現れたんでしょう?
仮面舞踏会といえば、当時の上流階級の人々が楽しんでいた娯楽のひとつ。
このキューピッド君はその華やかさに魅せられ、神様に内緒で参加してしまったのでしょうか?
仮面舞踏会より仮装大会のほうが似合ってますね。(^^)
作者のシュトゥックは、1862年にドイツのテッテンヴァイスで粉屋の息子として生まれました。
1872年にミュンヘンに移住し、貧しいながらも1882年からミュンヘンの美術工芸アカデミーで学んだ彼は、アルノルト・ベックリンらの影響を受けながらその才能を確実に伸ばしていきます。
1889年、パリ万国博覧会に出展した絵が金賞を受賞すると、彼は一躍脚光を浴びるようになり、ドイツ画壇の中心人物となりました。
1892年には仲間とともに保守的な芸術家協会からの独立を目指した組織「ミュンヘン分離派」を創立し、ミュンヘン美術院の教授として迎えられます。
その後も1893年のシカゴ万国博覧会と1900年のパリ万国博覧会でメダルを獲得するなど、芸術家としての地位と名声を確固たるものとしました。
アメリカ人女性と結婚し、自らが設計した豪邸に住み、社交界での交流も積極的におこなうなど、貴族さながらの生活ぶりから「芸術家のプリンス」と呼ばれていたそうです。
貧しい粉屋の息子がドイツ社交界の中心人物にまで出世したのは、彼の作品が高く評価された、それだけが理由なのでしょうか?
もしかしたら、まだ生活が苦しかった頃に描いたこのキューピッドの絵が、華やかな社交界からずっと手招きしてくれていたのかもしれません。