キャロルの愛したアリス・リデル

    alice_liddel_beggar_girl.jpg

    ご存じですか?と聞くのもおかしなほどに有名な童話「不思議の国のアリス」
    数学者でオックスフォード大学の教授でもあるチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン(1832-1898)が、ルイス・キャロルというペンネームで1865年に出版した童話です。

    ウサギを追いかけて野原の穴に入っていった少女アリスが、不思議の国で体験する奇想天外な物語。
    体の大きさが変化する薬とケーキ、カエルや魚の顔をした人たち、荒っぽく皿を割りまくる料理女、ニヤニヤして顔だけになるチェシャ猫、気の変な帽子屋、泣き虫のウミガメ、怒ってすぐに首をはねたがるトランプの女王などなど・・・そのストーリーはナンセンスとユーモアに溢れ、作家キャロルとしての文才と数学者ドジソンとしての緻密な思考力を感じさせます。

    もともとドジソンは歩き方がぎくしゃくしていたり、どもる癖があったために内気な性格で、大学の仲間や生徒たちからは気難しいつまらない人間だと見られていました。
    しかし無類の子供好きだった彼は、普段から知り合いの子供たちの前で人形を動かしたり手品をしたり、お話を聞かせて喜ばせる一面も見せており、その時ばかりはどもりの癖も影をひそめたといいます。

    そんな彼が子供たちの中でもとりわけ強い愛情をそそいだのが、同大学の学園長の次女である10歳の少女でした。
    少女の名はアリス・プレザンス・リデル(1852-1934)。
    そう、不思議の国のアリスという物語は、ドジソンがこの子のために作ったお話だったのです。

    画像出典:ウィキメディア・コモンズ
    File:Alice Liddel - Beggar Girl.jpg
    ライセンス:パブリックドメイン

    three_liddell_sisters.jpg

    一番上の写真はドジソンが撮影した6歳のときのアリス・リデル。
    そしてこちらの写真は同じくドジソンが撮影した学園長の三人娘。(1860年)
    左端の子が次女のアリスですね。


    1862年7月4日、テムズ川のほとりで初めてアリスに語られた不思議な物語は、その後ふたりが出会うたびにふくらんでいきました。
    アリスはドジソン先生というさえない独身男の語る物語にワクワクと胸を躍らせたでしょうし、ドジソンはアリスを喜ばせたいとの一心で空想力を大いに働かせたに違いありません。

    この物語はのちにドジソン自身が挿し絵を描いて一冊の本にし、その年のクリスマスにアリスにプレゼントしたのですが、それが知り合いの目にもふれ愛読されるうちに絶賛され、そして後の1865年、ジョン・テニエルという風刺画家の見事な挿し絵を添え、正式に刊行されたというわけです。
    最初の1冊目はアリス自身に、2冊目はビクトリア女王に贈られたそうです。

    john-tenniel_alice.jpg

    物語のセリフとテニエルによる挿し絵が、まさにアリスという少女の印象を世に決定付けました。
    金色の長い髪、エプロンドレス、ちょっと蓮っ葉でおしゃべり、大人びた口調、ちょっとのことでは動じない性格。
    一見しただけでもドジソンが愛したアリス・リデルとはかけ離れたキャラクターのようにも思えます。(実際のアリスは黒髪)
    これはもう一人のアリスを形作ることにより、感情移入しながらもアリス・リデルという少女のイメージを壊したくなかった、そんな気持ちの表れなのかもしれません。

    ドジソンのアリスへの想いはまさに「惚れる」という感覚でしたが、それは滑稽とも思えるほどプラトニックなものでした。
    当のアリスはそんなドジソンの想いなど知る由もなく、時には突き放したりわがままを言ったりしながら、子供ながらにどもりの独身男を振りまわしていました。
    後にドジソンからの求婚をキッパリと断ることからも、この愛は単なる一方通行で終わったようです。

    当時のアリス・リデルの心の内については、年老いた彼女自身が回想するという設定の1985年のイギリス映画「ドリームチャイルド」で見てとれます。

    YouTubeより
    「Dreamchild (1985) - Video Trailer」
    https://youtu.be/o8JvMdfNOrg

    数字の世界に生きながらも少女を空想の世界へといざなったドジソンは、もしかしたら究極のロマンチストだったのかもしれません。
    後生の子供たちに素晴らしい物語を残してくれた彼の言葉として、本の冒頭に次のような序詩が添えられています。(日本語訳)

    『アリス、この子供らしいお話をお受け。そしてやさしい手で置くがいい、子供の夢が思い出の神秘の絆につながっているあの場所に。巡礼がかぶるしおれた花の花かずらが、はるかな国でつつまれたように...』
    関連記事

    タグ: Europa  少女  衣装  OldPhoto  絵画  動画  CC-License 

    オーウェ・ゼルゲの人物画

    owe_zerge_unknown.jpg

    スウェーデンの画家、オーウェ・ゼルゲ(1894-1983)による人物の油彩画。
    タイトルと制作年は不明です。

    よくあるアトリエでのモデル描画なので、習作の可能性もありますね。
    ゼルゲの他の作品にはこの子とよく似ている肖像画が多く見受けられるので、もしかしたら息子さんかもしれません。

    こういうモデル、女性の場合は裸婦と言いますが、少年の場合はなんと言うんでしょう?
    らしょうねん?・・・羅生門みたいだな。

    作者のオーウェ・ゼルゲは肖像画、裸婦、花、風景等の絵画で知られるスウェーデンの画家で、スウェーデンの都市クリシャンスタードで生まれました。
    1914年から1915年までアルシンの美術学校に通い、その後ストックホルムのスウェーデン王立芸術アカデミーに入学します。

    1920年にフランスに留学し、翌年にパリのサロンで賞を獲得。
    その翌年にはストックホルムの展覧会にも参加しています。
    1923年に彼の作品がイェーテボリの美術館に収蔵され、毎年の展覧会で定期的に展示されました。

    長年の功績が称えられ、1975年、81歳の時に文化賞を受賞していますが、彼の故郷ではさほど有名ではないそうです。
    彼の作品は現在、スウェーデンのゲーブル、クリシャンスタード、トメリラの博物館で鑑賞できます。
    関連記事

    タグ: Europa  少年  絵画 

    The Pool

    robert_riggs_the_pool.jpg

    アメリカの画家、ロバート・リッグス(1896-1970)による1933年の作品「The Pool」

    学校の授業でしょうか?
    たくさんの少年たちがプールに飛びこんだりベンチで日光浴したりとくつろいでいます。
    水着を着ていないのでまるで川遊びのような光景ですが、昔の学校にはこういった全裸のプール授業もあったんでしょうか?
    それとも多少ユーモアを交えた作品なのかな?

    作者のロバート・リッグスは19世紀末にアメリカのイリノイ州の都市、ディケーターで生まれました。
    若い頃は地元のミリキン大学で学んでいましたが、1915年にニューヨークの美術学校「アート・スチューデンツ・リーグ」に移り、卒業後はフィラデルフィアの広告会社に勤務。
    第一次世界大戦中はフランスの赤十字社に勤め、終戦後はアメリカに戻って雑誌のイラストレーターとして働きました。

    彼の作品の多くは1930年代に描かれ、ボクシングやサーカスをテーマとしたものが多いようです。
    1939年に国立デザインアカデミーのメンバーとなり、1961年から1963年まではフィラデルフィアの美術学校で講師を勤めました。

    ニューヨーク・アート・ディレクターズクラブの優秀賞を10年連続で受賞するなど、優れた功績を残したロバート・リッグス。
    彼の作品はニューヨークのメトロポリタン美術館、フィラデルフィア美術館、米国議会図書館の常設コレクションに収蔵されています。

    雑誌のイラストレーターということで、彼の作品は実際の出来事を描いたものなのか想像上のものなのか、見ただけでは判断しにくいですね。
    この作品はどうなんでしょうか?

    ・・・と思って調べてみたら、このような写真が見つかりました。

    elisofon_junior_swimming_pool.jpg boys_swimming_karlsbad.jpg

    左はアメリカの写真家、エリオット・エリソフォン(1911-1973)の1930年の作品で、右は作者不詳ですが、ドイツのカールスバートで20世紀初頭に撮影された写真です。

    どちらもリッグスの絵との共通点がありますね。
    学校の授業または水泳教室のようであり、水着をつけておらず、そして少年のみであるということ。
    リッグスが描いた「The Pool」は想像上の絵ではなく、当時としてはよくある光景だったんですね。

    現代の子供たちの中には同性の前でも裸になれず、修学旅行で風呂に入ることをためらう子もいるそうです。
    でももしそれが自分の体を恥じているためだとしたら悲しいですね。

    いつの時代の子供たちも、人間に生まれたことを誇りとし、自分の姿に自信を持ってほしいと思います。
    関連記事

    タグ: America  Europa  少年  Water  絵画  OldPhoto 

    L'acquaiolo

    vincenzo_gemito_acquaiolo01.jpg

    イタリアの芸術家、ヴィンチェンツォ・ジェミート(1852-1929)による1881年の作品「L'acquaiolo」
    水瓶(みずがめ)を持った少年が小さな壺を前に差し出している、そんなブロンズ像。

    タイトルの「L'acquaiolo」とは、簡単に言えば「水売り」です。
    かつて存在した商売で、露店を出して通行人に水を売っていた人たちのこと。

    家の商売に駆り出されたのか、それとも子供だけで小遣い稼ぎでもやっているのか、いずれにしてもこんな少年に「美味しい水だよ、飲んでかない?」ってニコニコ笑顔で言われたら、思わず手にとって飲んじゃいますよね。
    ぼったくりだったらどうしよう。σ^_^;

    上の写真はイタリアの国立近代美術館にある実物ですが、レプリカもいくつか作られており、このような像もありました。

    vincenzo_gemito_acquaiolo02.jpg vincenzo_gemito_acquaiolo03.jpg
    vincenzo_gemito_acquaiolo04.jpg vincenzo_gemito_acquaiolo05.jpg

    オリジナルにそっくりなものもあれば、ブロンズの腐食の色合いを出しているものもあります。
    さらにメッキなのか塗装なのか、金色や銀色をしているものもありました。
    ボディがゴールドやシルバーだと、なんだかロボットみたいですね。


    作者のヴィンチェンツォ・ジェミートは1852年にイタリアのナポリで生まれました。
    しかし貧しい家庭だったため、母親は出産の翌日、彼を孤児院へ置いてきてしまいます。
    2週間後、彼は子供を失ったばかりの若い夫婦に養子としてもらわれていきました。

    職人である父親の仕事を手伝いながら育ったジェミートは、持ち前の手先の器用さもあり、10歳にして芸術家エマニュエル・カギアーノ(1837-1905)の弟子となります。
    12歳でナポリ美術学校に入学し、夜間はドメニコ・マッジョーレ・アカデミーにも通っていました。

    わずか16歳のときの作品「The Player」はナポリで展示されるや大絶賛を浴びます。
    当時のイタリア国王、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世はその作品を大変気に入り、購入してカポディモンテ博物館に寄贈したそうです。
    まさにイタリア美術界の神童ともいえる若者でした。

    1877年にはパリに渡り、サロンやギャラリーで様々な作品を発表。
    フランスの人々からも高い評価を得ていましたが、結婚後に妻が若くして亡くなると、彼は生まれ故郷のナポリに戻ります。
    その後再婚しますが、晩年は精神的な病に苦しみ、長期にわたり病院で過ごしたそうです。

    類い稀なる才能を持ち、人々から絶賛されていた天才芸術家でしたが、その生い立ちと晩年は決して明るいものではなかったんですね。


    さて、最初にヴィンチェンツォ・ジェミートを「彫刻家」と言わず「芸術家」と言ったのには訳があります。
    彼は彫刻だけでなく絵も描いていました。つまり画家でもありました。
    緻密な人物デッサンを数多く残しており、彫像の造形とも合わせて、リアルさへのあくなき探究心を感じさせます。

    giovinetto_con_arco.jpg studio_per_giovanetto_con_arco.jpg

    これは彼が描いたデッサン画で、1908年の作品「Giovinetto con arco」
    弓を引く男の子の絵ですが、翼を描いていないところを見るとキューピッドではないようですね。

    画像出典:ウィキメディア・コモンズ
    File:Gemito, Vincenzo (1852-1929) - Giovinetto con arco -1908-09-.jpg
    File:Gemito, Vincenzo (1852-1929) - Studio per giovanetto con arco -1908-09-.jpg
    ライセンス:パブリックドメイン

    この作品、じつはそっくりな写真が存在します。

    giovinetto_con_arco_photo.jpg

    詳細は不明ですが、おそらく絵の制作のために撮影したものでしょう。
    場所は自宅の工房でしょうか? 壁にはダビデ像の写真も飾られています。

    まさにイタリアが誇る偉大な芸術家。
    この子も立派なモデル君。
    関連記事

    タグ: Europa  少年  笑顔  彫像  ブロンズ像  絵画  OldPhoto  CC-License 

    美術アカデミーでのデッサン画

    hammershoi_academy_figure_drawing_of_a_boy.jpg

    各国の画家たちによる美術アカデミー時代のデッサン画。
    つまり授業で描いた単色の素描作品ですが、有名な画家のものであれば今も関係機関でしっかりと保存されています。

    彩画はもちろんですが、このようなペン1本によるデッサン画も見応えがありますね。
    とくに授業ならたいていモデルがいるわけですから、モデルと画家との相互作用とでも言いますか、人物デッサンならではの空気感が魅力です。

    画家たちのアカデミー時代のデッサン画をいくつかピックアップしてみました。
    今回は余計な説明や感想は書かず、素直に鑑賞したいと思います。

    上の画像はデンマークの画家、ヴィルヘルム・ハンマースホイ(1864-1916)による1883年の作品。

    画像出典:ウィキメディア・コモンズ
    File:Academy figure drawing of a boy (Hammershøi).jpg
    ライセンス:パブリックドメイン


    andreyevich_nude_male_youth01.jpg andreyevich_nude_male_youth02.jpg
    アレクサンドル・アンドレイビッチ・イワノフ(1806-1858)/ロシア
    制作年不明


    joseph_uhl_nudeboy01.jpg joseph_uhl_nudeboy02.jpg
    ジョゼフ・ユール(1877-1945)/ドイツ
    制作年不明


    hegzmann_circa01.jpg hegzmann_circa02.jpg
    P・ヘグズマン(生没年不明)/ドイツ
    1908年


    lohmuller_rainer_akt_sitzend.jpg lohmuller_gilles_akt_templiers.jpg
    オットー・ローミュラー(1943- )/ドイツ
    左1984年・右1985年


    lovis_corinth_zwei_knabenakt.jpg lovis_corinth_kriegerlehre.jpg
    ロヴィス・コリント(1858-1925)/ドイツ
    1914年


    alois_kasimir_nudeboy_playing_a_flute01.jpg alois_kasimir_nudeboy_playing_a_flute02.jpg
    アロイス・カシミール(1852-1930)/オーストリア
    1880年


    raphael_collin_nudeboy01.jpg raphael_collin_nudeboy02.jpg
    ラファエル・コラン(1850-1916)/フランス
    制作年不明


    jules_elie_delaunay01.jpg jules_elie_delaunay02.jpg
    ジュールス・イーライ・ドローネー(1828-1891)/フランス
    右1860年


    vincenzo_gemito01.jpg vincenzo_gemito02.jpg
    ビンセンゾ・ジェミート(1852-1929)/イタリア
    左1925年・右1913年

    どれも素晴らしいデッサンですね。
    アカデミーで描いたのではないのも混ざっちゃいました。(^^;)
    関連記事

    タグ: Europa  少年  少女  絵画  CC-License 

    Leikkiviä lapsia

    Eero_Jarnefelt_Leikkivia_lapsia.jpg

    フィンランドの画家、エーロ・ヤルネフェルト(1863-1937)による1895年の作品「Leikkiviä lapsia」

    タイトルが「遊ぶ子供たち」という意味なので、じゃれ合って遊んでいるんですね。
    女の子が持っている果物を男の子が取ろうとしているのでしょう。

    子供ならではというか、小学生くらいの子供だからこそこういうじゃれ合いも微笑ましいわけで、もしこれが大人の男女を描いたものだったら、違う雰囲気を醸していたかもしれません。

    とはいえ、愛ある者には愛の絵に見え、猥褻な感情を持つ者には猥褻な絵に見えるという点では、描かれているのが大人であれ子供であれさほど変わりはしません。
    アートとはそういうものです。

    作者のヤルネフェルトは1863年、帝政ロシア統治下にあったカレリアの都市ヴィープリ(現ヴィボルグ)にて、ロシア帝国軍将校の父の家に生まれました。
    妹はのちにフィンランドが生んだ大作曲家、ジャン・シベリウスと結婚しています。

    高校卒業後1883年から3年間、サンクトペテルブルクの芸術アカデミーに通ったヤルネフェルトは、1886年にパリへ留学しアカデミー・ジュリアンで学びます。
    彼はそこでフランスの画家、ジュール・バスティアン=ルパージュの作品に出会い、さらに見聞を広めました。

    その後は1902年からヘルシンキの大学で教師として働き、1912年からは教授となり、フィンランドの芸術アカデミーの会長にも就任しています。

    彼はとくに北カレリア地方のコリ(現在のコリ国立公園)の風景に惹かれ、コリの雄大な風景を描いた作品を数多く残しています。
    その風景画、現在はヘルシンキ駅のレストランで目にすることができるそうです。


    画像出典:ウィキメディア・コモンズ
    File:Eero Järnefelt - Leikkiviä lapsia (1895).jpg
    ライセンス:パブリックドメイン
    関連記事

    タグ: Europa  少年  少女  笑顔  絵画  CC-License 

    Eros, Cupido

    jean-jules-antoine_eros-cupido.jpg

    フランスの画家、ジーン・ジュールス・アントワーヌ・ルコント・ドゥ・ノーイー(1842-1923)による1873年の作品「Eros, Cupido」

    作者の名前は長いけれど作品のタイトルはじつに簡潔「エロス・クピド」
    ギリシア神話ではエロス、ローマ神話ではクピドと呼ばれている、天使の姿をした愛の神。
    美の女神アフロディーテの息子であり、ラテン語で愛を意味する「アモル」の名で呼ばれることもあります。

    背中に大きな翼を持つアモルが弓に弦を張っているシーンですが、150年近くも前の作品にしては前衛的ですね。
    舞台セットのような構図や、背景に文字が書かれているところなど、絵画というよりも映画のポスターのよう。

    作者のルコント・ドゥ・ノーイーは1842年、フランスのパリに生まれました。
    兄はのちに建築家となりますが、彼は子供の頃から視覚芸術に強い関心を示し、6歳のときすでに父親と叔父の肖像画を描いています。

    1861年、19歳の時にスイス人画家シャルル・グレールのアトリエに入り、グレールから創造的な表現を学びました。
    その後アカデミック美術の代表的な画家であるジャン・レオン・ジェロームの指導のもと、芸術の知識と技をより高めていきました。

    1863年にパリのサロンでデビューした彼はその後も定期的に作品を出展し、1866年に金メダルを獲得します。
    1872年にはローマ大賞を受賞し、美術館での展示や教会での装飾も成し遂げています。

    その後は東アジア、ギリシャ、トルコ等を旅して外国文化の社会的、歴史的、文学的側面に触れ、そこからインスピレーションを得ています。
    彼の絵にある特徴的なオリエンタリズムは、この旅によるところが大きいのでしょう。

    たしかにこの作品も、どことなくオリエンタルな雰囲気がありますね。
    草花で髪を飾り、金色の装飾品を身に付け、翼が青や黄色なところはそれまでの天使像とは違う雰囲気を感じさせ、性格さえ違うような気もしてきます。
    でも股間を隠さないところは、やっぱり天使だなって思いますが。

    このアモル君、人間の歳でいうといくつくらいでしょうか?
    そろそろ弓矢を自分のために使いたくなってくる年頃かもしれませんね。

    作者のジーン・ジュールス・アントワン・ルコント・ドゥ・ノーイーは晩年をルーマニアで過ごしましたが、亡くなる直前にパリに戻り、1923年2月19日に死去しました。
    パリの街のある通りには、彼の名にちなんだ名前が付けられているそうです。
    関連記事

    タグ: Europa  少年  絵画  衣装 

    モデル君は背中で語る

    karpinski_knaben-ruckenakt.jpg wojciech_czerwona_wstazka_1896.jpg

    日々たくさんの絵画を鑑賞していると(もちろんネットでですが)あることに気付くことがあります。
    「この絵とこの絵は作者が違うけれど、もしかしたらモデルは同じじゃない?」

    たとえば上の絵画は、左がポーランドの画家、アルフォンス・カルピンスキー(1875-1961)の1900年の作品「Knaben-Rückenakt」
    右は前回ご紹介したポーランドの画家、ヴォイチェフ・ワイス(1875-1950)の1896年の作品「Czerwona wstazka」

    このふたつ、背景にしてもポーズにしても、どう見ても同じモデルを描いたように見えませんか?
    カルピンスキーもワイスもどちらもポーランド人で、生まれた年も同じ。
    ということはこの絵はアカデミー時代の作品で、ふたりは同じクラスの生徒だったのではないでしょうか?

    制作年が違うのは完成させた年の違いなのか、数年後に描き直したのか、それともどちらかの制作年が間違って伝わっているのかそのへんはよくわかりませんが、いずれにしても同じモデルを描いたのだろうと思います。

    19世紀のアカデミーの生徒作品は今も資料として多く残されていますが、作者不詳のものが少なくありません。
    このように二人の有名な画家がかつて同じ教室で授業を受けていた、というのは珍しいことかもしれませんね。

    カルピンスキーはこの絵にKnaben-Rückenakt(少年 - 後ろから)というタイトルを付け、ワイスはCzerwona wstazka(赤いリボン)というタイトルを付けました。
    同じものを描いても作者によって着眼点が違うところが面白いですね。

    さて、後ろ姿を掲載したついでに、他の作者による後ろ姿の絵もご紹介しましょう。

    授業の場合は位置的にモデルの背中しか見えない場合もあるでしょうが、作品によってはテーマをより活かすためにあえて背中側を描画することもあります。


    karpinski_nackter_knabe_im_atelier.jpg xavier_bricard_youngboy.jpg

    左は最初に紹介したポーランドの画家、アルフォンス・カルピンスキー(1875-1961)による1889年の作品「Nackter Knabe im Atelier」
    右はフランスの画家、フランソワ=グザヴィエ・ブリカール(1880-1933)による作品「A Young Boy, seated naked on the carpet」

    左はアトリエでうっかり足に絵の具を付けてしまった男の子。
    右は部屋で座り込んで画集を見ている男の子。
    どちらも背中側の絵だからこそ、ふと見かけた光景といった雰囲気が漂っているんですね。


    picasso_ruckenakt_eines_knaben.jpg rethel_nackter_jungling.jpg

    左はスペインの画家、パブロ・ピカソ(1881-1973)による1895年の作品「Rückenakt eines Knaben」
    右はドイツの画家、オットー・ソーン・リセル(1877-1949)による1924年の作品「Nackter Jüngling」

    左はあのピカソが14歳の時に描いた絵です。
    ピカソといえば抽象画家として有名ですが、若い頃は写実的な作品が主でした。
    モデルも同じくらいの歳ですね。もしかしてクラスメイト?
    右のリセルの絵はデッサン画ですが、描いたのが47歳の時ということはモデルは息子さんでしょうか?


    horace_vernet_adolescent_boy.jpg geoffrey_laurence_deidre.jpg

    左はフランスの画家、オラース・ヴェルネ(1789-1863)による1807年の作品「Academic Study of Adolescent Boy」
    右はアメリカの画家、ジェフリー・ローレンス(1949- )による1993年の作品「Deidre」

    これもアトリエでモデルを描いたものですね。
    左は19世紀初頭の作品で、右は1990年代の作品。
    その間なんと186年!
    美術モデルの少年は、今も昔も変わらぬ美しさで貢献しています。


    hermann_moest_knabe_am_strand_von_usedom.jpg camarlench_el_guardavia.jpg

    左はドイツの画家、ヘルマン・モエスト(1868-1945)による1945年の作品「Knabe am Strand von Usedom」
    右はスペインの画家、イグナシオ・ピナソ・カマルレンク(1849-1916)による1877年の作品「El Guardavia」

    少年はいったい何を見ているのか?
    それを描かないことで、そして少年の背中側からの構図にすることで、視線の先を想像させる意味深い絵となります。
    左の少年は雨雲を見ているのでしょうか?
    右の少年は列車を見ているのでしょうか?


    rudolf_koller_badender_knabe.jpg merritt_love_locked_out.jpg

    左はスイスの画家、ルドルフ・コラー(1828-1905)による1858年の作品「Badender Knabe」
    右はアメリカの画家、アンナ・リー・メリット(1844-1930)による1889年の作品「Love Locked Out」

    左の絵は水浴に来た少年が遠くを眺めているシーンで、右の絵はドアの外に締め出されてしまった少年。
    あえて顔の見えない後ろ姿を描くことで、客観的な見方、つまり物語性をより高めているように感じます。

    背は口ほどにものを言うというわけで、どの子も翼はなくともじゅうぶんにアートしてますね。
    関連記事

    タグ: Europa  少年  絵画 

    Wiosna

    Wojciech_Wiosna_1898.jpg

    ポーランドの画家、ヴォイチェフ・ワイス(1875-1950)による1898年の作品「Wiosna」

    Wiosnaとは「春」のこと。
    手前に木の枝を持った少年がいて、背景には追いかけっこに興じる男女の姿が描かれています。
    春の訪れを感じさせる爽やかな作品であるかと思いきや、少年の表情が冴えませんね。
    喜怒哀楽で言えば「哀」でしょうか「怒」でしょうか?
    なんとも不思議な雰囲気のある作品ですね。

    作者のワイスはポーランド南部の都市、クラクフで生まれました。
    クラクフの美術学校を出て、その後パリやローマに滞在して美術を学びました。

    彼の絵の特徴は、明るく豊かな色彩、それでいて退廃的な雰囲気。
    これはエドヴァルド・ムンク(1863-1944)やヤチェク・マルチェフスキ(1854-1929)の影響を受けているとされています。
    当初は歴史的・神話的な絵を描いていましたが、後にポーランドの作家、スタニスワフ・プリービーズツースキーの書いた書物に触発され、表現主義へと移行しました。

    そして彼が触発されたもうひとつのもの、それは「日本」でした。
    人間と自然との密接な関係をテーマにしていた彼にとって、日本美術との出会いは衝撃だったようです。

    日本の木版画の技術を学び、自らの作品にも取り入れ、油彩、水彩、版画など多くの作品を残しています。
    後期の作品に見られる色彩の変化は、日本美術の影響が色濃く出ていると言ってもよいでしょう。

    1919年に科学アカデミーから賞を、1924年にワルシャワ芸術協会から賞を授与され、1937年にはポーランドの芸術に多大な貢献をしたとして国家から表彰されています。
    関連記事

    タグ: Europa  少年  絵画 

    Patrick and Sport

    patrick_und_sport_2002.jpg

    ドイツの画家、オットー・ローミュラー(1943- )による2002年の作品「Patrick and Sport」

    3月27日の記事「古代オリンピック」では、古代オリンピックの少年の部のイメージとしてローミュラー氏の作品を引用しました。
    この作品も同じく、少年が円盤投げをしている様子。

    もちろんこの絵は創作ですが、古代ギリシアでは実際に裸で競技をおこなっていたわけですから、種目によってはもっとも公正でありもっとも安全な格好かもしれませんね。

    作者のローミュラー氏はドイツの都市ゲンゲンバッハ生まれの画家。
    地元の人や旅先で出会った人など、様々な世代のポートレイトを描いています。

    若い頃はミケランジェロの彫刻やピエール・ジュベールのイラスト等に影響を受けており、1960年にパリに移り住んで芸術を学びました。
    1969年に結婚し、その後2人の男の子をもうけています。

    1978年に最初の作品集を出版し、1982年からは歌集や詩集などボーイスカウトのための本を発表。
    出版社「Zeus Press」を設立し、現在も作品集等を出版しています。
    彼の作品はドイツ国立図書館のカタログにも掲載されました。

    steffen_2001.jpg martin_2000.jpg

    2001年の作品「ステファン」と、2000年の作品「マーチン」
    サッカーと水泳でしょうか。
    古代オリンピックにはサッカーのような球技はなく、陸上競技と格闘技のみでした。
    もし球技があったとしても、裸では敵味方がわからなくなって審判も観客も混乱するでしょうね。

    水泳競技がなかった理由は場所柄だと思いますが、もしあったならギリシャは競泳大国になっていたかもしれません。

    sohn_1998.jpg

    古代ギリシアではオリンピア大祭(オリンピックの起源となった大会)の勝者に「オリーブ冠」を授与していました。
    オリーブ冠とは、オリーブの葉の付いた枝をリング状に編んだ冠のことです。

    少年の部に賞金があったかどうかは不明ですが、頭にかぶせられるオリーブ冠と観客からの賞賛だけでも、少年たちはじゅうぶん満足だったことでしょう。


    Copyright : Otto Lohmüller
    http://www.otolo.eu/
    関連記事

    タグ: Europa  少年  絵画  スポーツ 

    いらっしゃいませ

    現在の閲覧者数:
    このブログについて...

    RUKA

    Author:RUKA


    当ブログは子供を表現した世界の絵画、彫像、写真作品をご紹介しています。
    天使に見立てているので必然的に裸の作品が多くなりますが、すべてアートまたは家庭的な生活記録に限定しています。

    子供は本来この世界における夢であり希望であり、その姿は大人にとってノスタルジーや心の潤い、癒しの対象でもあります。

    古くから子供の姿は愛すべきものとして認識され、絵画や彫像、写真等で様々に表現されてきました。天使のイメージもそのひとつです。
    そして各家庭でも、我が子への愛情ある記録(写真撮影)が数多くなされています。

    当ブログではそれら子供や天使をテーマにしたアート作品と、写真共有サイトFlickrで一般公開されている子供写真をご紹介しています。(できるだけ天使の姿に近いものを選んでいます)

    ふと訪れては日々の疲れを癒す天使の園・・・そんな憩いの場としてお使いいただければ幸いです。

    画像の著作者は私を含め様々ですが、著作権的に問題のない方法で掲載しています。
    また、公序良俗に反する画像や違法な画像、猥褻な画像は一切ありません。
    【当ブログの掲載ポリシー】

    Flickrは米Yahoo!が運営する写真共有コミュニティサイトです。
    当ブログはFlickrにて一般公開されている写真から、シェアが可能なもの(SNSやブログでの表示が許可されているもの)を選んでご紹介しています。
    Flickrの写真に関するご質問はFlickrまたは写真の著作者にお問い合わせください。

    説明記事
    著者について...
    名前:RUKA (Rukachas)
    国籍:日本
    都道府県:埼玉(生まれは宮城)
    性別:男性
    年齢:あっという間の半世紀
    インターネット歴:20年

    20代の頃に仕事で幼稚園に足を運んだのを機に、街で子供の笑顔写真を撮り続ける。
    1999年に「The Light of Smile 笑顔の灯り」という子供の笑顔をテーマにしたサイトを開設。
    サイト終了後はこのブログで世界の天使像や世界の子供写真を紹介している。
    6人の甥と姪の伯父さんでもある。

    ruka_rukachas@ybb.ne.jp
    RUKAのサイト・ブログ

    RUKAのTwitter
    おすすめリンク
    アンケート
    Translation
    ブログ内検索
    アートギャラリー
    カテゴリ
    タグ

    少年 Europa 少女 Water 笑顔 America Asia 衣装 Face 水着 CC-License イベント 彫像 スポーツ 日本 風呂 RUKA 伝統 絵画 ブロンズ像 ペイント Thong 音楽紹介 Africa 大理石像 Oceania OldPhoto 動画 

    日別表示
    04 | 2017/05 | 06
    - 1 2 3 4 5 6
    7 8 9 10 11 12 13
    14 15 16 17 18 19 20
    21 22 23 24 25 26 27
    28 29 30 31 - - -
    月別表示
    最新記事
    メッセージフォーム

    名前:
    メール:
    件名:
    本文:

    ユーザー掲示板
    AngelBoys FairyGirls